Report of the Underground History
20-4.続・大室寅之祐(明治天皇)の出自と近代皇室について -「萩」へマンジュウつくりに行ってくる-(2002.12.8)
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以下に記すものは、ある情報提供者「G氏」が、私に対して匿名条件にホームページへの公表・掲載を希望してきたものです。先回同様、今回も私は以下の内容について一切検証せず、「G氏」の文章をそのまま掲載しており、内容の真偽等については、読者の皆さん一人一人の判断に委ねたいと思っています。尚、以下の文章は、私の筆によるものではありませんので、ご質問には一切お答え致しかねますし、ご批判の類に対しても一切の責を負いかねます事を予め表明させて頂きます。
竹下義朗
◆大室家誕生秘話 (田布施町のタブー)
<地家─大室─橋本>
大室家の家系図の始まりは、後醍醐天皇の玄孫である光親親王が1400年に田布施町の麻郷に亡命した。
これがステップ1。
時代と共に系図は偽造されて行くもので、近祐の代で大室家23代??? ひろひとの代で124代。と言う具合で其処迄行けば恐れ入るが。。。
さて真相は、明治天皇が明治32年に作らせた家系図に依ると(2chにカミングアウトされた方の情報)大室家の初代は家康が死亡した年に亡くなっている。大室寅之祐は、其処から17代目??か??(明治天皇は維新の真相を明治32年時点の権力で公開しようとしたが、結局その努力は怠った。) ただ、初代は「大室」と言う苗字では無くて「麻郷」と言う苗字であった。(本当は苗字なんて無くて広義の「麻郷」村民と言う意味なのか??)
で、此処迄がステップ2。
文政時代「大室●●●」(下の名前は分からない)の「大」「室」の二文字が墨で塗りつぶされていた。太陽に透かしたら読める程度。つまり大室中興の初代は文政?年に亡くなった事が分かった。つまり墨で塗り潰す=タブーである事が推測出来る。大室中興の初代は1800年プラスマイナス10年(1790~1810頃?) 麻郷大室に家を建てたのでは無いか??? 1800年頃、大室中興の初代は40歳位だったか?? 大室中興の初代某が文政時代に死去。この頃、頼山陽が大室の家系図を整備した。(うちのGさんによる)
で、この間解決さんが言ってた、
大室又兵衛。寛政元年(1789)三月二十九日生まれ は大室中興家の2代目では無いだろうか??(この人は麻郷村) そして、大室又兵衛の弟が「萩」に移住し萩大室家分家を作ったのではないのか??
■■大室家の養子となる。(■■←判読出来ず)←この事は萩大室分家なのか???
さて萩大室分家の方は後醍醐天皇の息子、満良親王(萩)を初代に仰ぐ家系図を作って貰い、麻郷大室本家2代大室又兵衛の方は光親親王を初代と仰ぐ家系図を同時期に作って貰ったのでは無いか?? その後、天保時代に麻郷の大室館は徳川家の柳生忍者やかたに取り囲まれ幕府に警戒されていたから、この頃は既に幕府を倒す下地が大室家に出来上がっていたか??(つまり徳川幕府の公安に大室家は革命家危険分子としてマークされていたと言う事か??) その頃、萩大室分家の方は子供が出来無かったから、大室又兵衛の子、大室弥兵衛3代の弟、少年大室惣兵衛を萩大室家の養子にしたのが以下
↓
大室家3代目大室弥兵衛の壬申戸籍より(鹿島昇氏コピー)
戸主 大室弥兵衛 生年月日 文化十(1813)年六月十四日
大室惣兵衛? 文政八年(1825)九月二十■日生まれ (■←判読出来ず)
:天保八年(1837)■■大室家の養子となる。(■■←判読出来ず)
満良親王(1330?~1383?)
花園宮。
母親は一条氏?
京都、高野山、吉野、熊野を経て四国へ。1340年代に後崇徳帝として即位?(白峰神社文書)
更に四国から周防に渡るも、その後の消息は不明。
周防で死去。
出家して福州(中国福建省)に渡り、帰国後、吉野で死去。
吉田松蔭は始め、萩大室家の(満良親王系)大室惣兵衛の息子、大室虎助を玉にしようとしたのでは?
田布施町と萩では距離あり過ぎ。
(慶応3年10月に新撰組に斬り殺された方??)
(当時16←勿論、カゾエであろう)
(つまり京都明治天皇と同じ年)
田中光顕が三浦天皇に語った[萩]生れの玉とは虎助の方では?? これなら田中が「吉田松蔭を中心とした革命家が南朝「満良」親王系の明治天皇とすり替わった」と語っているし、京都睦仁明治天皇と同じ年だから辻褄が合う。(田中は京都明治天皇と新東京明治天皇は同じ年と言っている) 寅之祐は1850年1月10日生れの筈だ。
↓ 大室虎助ソース
新撰組が長州の不良力士達を殺害する事件があったのは慶応3年10月29日。沖田総司が殺害した力士の中に大室虎助(16)の名前があった。
下鴨神社蔵の『神楽勧請録』の慶応3年の記録には、
「大室虎助 (中略) 等、同年10月29日、新撰組ガ為二被害」
とあり、新撰組側の記録にも、
「(慶応3年11月)先日、長州の不逞力士5人を誅す、残党なお洛中に潜する無し」
(『慶応洛中日記』・『会藩新兵余話』・『新撰組遺事』等)
とある。
※その後、大室寅吉(寅之祐)は新撰組に斬り殺された、と言う事になっていと。
↑ は勘違い
麻郷大室本家の方は(光親親王系)大室弥兵衛(3代目)が1854年下旬(10月?)頃にスヘと結婚。1年後、大室弥兵衛とスへ(24)の間に大室寅助(1855年11月頃~1857年6月22日)が生まれたが直後、スヘが産後のひだち悪く肺結核で死亡。(西円寺池で入水自殺か?大室近祐説?) その後、大室弥兵衛と文右衛門の娘ハナ(1815年12月5日生まれ 当時 40歳?)が再婚したが、寅助(大室4代)の方は2歳弱で病死。文政時代に初代大室家当主が死去してから4代目と思われる大室寅助死去により大室家断絶。
すこし長いがここまでがステップ3
ここから先がステップ4の地家作蔵大室家
苗字も無い作蔵と興正寺基子(SUEKO)=スヘ(1831年5月1日~1855年11月20日)が結婚した年は、1846年5月頃でスヘ15歳の時である。だから、1845年頃迄には興正寺昭顥(照景?)とスヘが田布施麻郷西円寺に京都浄土真宗興正派、興正寺から来てないといけない。(スヘは興正派門主一族の娘) 作蔵(1824年?~1887年5月頃?)と結婚し、1年後、スヘ16歳の5月頃、長女(1847年4月14日生まれ)を出産した。1850年1月10日(戸籍では庄吉の誕生日になっている)に寅吉(普段使う通名は虎吉、後の大室寅之祐)を出産。この頃(1849年頃)作蔵が西円寺の東隣の麻郷地家に家を建てる。だから地家の地名を苗字にした。(地家とは、そもそも村の中心地と言う意味)
1852年12月8日(戸籍では寅助の誕生日になっている)庄吉(通名は省吉)出産。
1854年2月29日に三男X平出産。(俺の高祖父)
>>その後、1854年初頭(5月頃?)に作蔵とスヘが離婚。長男寅吉、次男庄吉をスヘが引き取り、多分、西円寺の実家?へ戻る。大谷(興正寺)昭顥(照景?)の家か?? (京都には帰ってないであろう)
1854年下旬(10月?)、独身の大室弥兵衛(41)とスヘ結婚。大室寅吉、大室庄吉となる。で、大室寅吉が後の大室寅之祐となる人物。
1863年7月、寅吉は奇兵隊に参加。ここからが彼の出世の始まり。この頃、既に伊藤博文が大室家によく立ち寄っていたと言うし、1863年時点で吉田松蔭は亡くなっていた。1866年7月頃、寅吉は、
「萩にマンジュウつくりにいってくる」
と言ったきり行方知れずになる。
1866年1月時点で大室寅吉(寅之祐)は力士隊を卒業していたとある人は言う。
◆寅吉が行方知れずになってから(情報)
山口県萩市の萩八幡宮の「延命寺燈篭」には、
「万治参年・・・大室寅助」
の名前が刻まれている。ただ、万治3年と言う年は本来存在しない。計算上は慶応3年と言う事になるが。西円寺にも「延命寺石灯篭」あったで。
>>万治(慶応)3年は西暦1867年に該当。
1867年3月~4月頃、寅吉は寅助と名前を変え、京に上洛したと推測する。 そして、大室寅吉(通名虎吉)→寅助は1867年10月名前を大室寅之祐と変えて、芸者に扮して麻郷に帰って来るのである。それが、
「大室虎吉改め大室寅之祐が芸者連れて麻郷に帰ってきて・・」
と書かれた例の木簡が出てきた話に通じる。
通史にある王政復古の大号令(1867年12月9日)とは、勿論、京都での話では無い。田布施町の麻郷の高松八幡宮の話で今でも三条実美の七公卿が滞在したと言われる石碑がひっそりと残っている。午後の小御所会議とは、勿論、麻郷の事で京都の話では無い。
その後、寅之祐は再度上洛。(薩長軍を率いて) 慶応4年1月3日、鳥羽・伏見の戦いで勝利。1月8日、慶喜が大坂城を明け渡す。慶応4年1月15日からの明治天皇の伝記については、ドナルド=キーン氏『明治天皇』上巻に詳しい。
※※吉田松蔭は始め、大室虎助を明治天皇にしようとしたのではないか?と書いた。と言うのも、庄吉も寅吉(後の寅之祐)も作蔵の子で大室家の血統では無いから。寅吉は虎助より2歳年齢が上だから先に出世したのではないのか? いや大室本家(田布施町 光親親王家系)を寅吉が継いだからか??
吉田松蔭の死後、伊藤博文が田布施の大室家によく遊びに来る様になったが(1863頃)、寅吉(寅之祐)が奇兵隊に所属して鍛え始めたのもこの頃であるし。
松蔭の死後だから高杉、木戸、伊藤あたりは寅吉の存在は知っていたとしても吉田松蔭はまだ漠然と麻郷あたりに南朝大室家が存在する、位しか思っていなかったのかも。
※田中光顕が明治天皇がどうして「萩」で『生まれた』と勘違いしたのか気になったから書いたけど。
◆大室庄吉(寅之祐の弟)について
ソース
(大室寅介とは庄吉の事で、寅介の名前で奇兵隊に参加) 京都の上賀茂神社って知っているでしょ。毎年9月9日に烏祭(からすまつり)ってのがあるのだけれどさ、このお祭りで奉納相撲が行われるのだけれど、この奉納相撲の記録ってのが残っているんだ。(記録って言っても寛政4年以前は残っていない) この記録には、慶応2年(1866年)の奉納相撲の出場者の中に、
「村岡権七、名和小一郎、天野才五、西沢半次・・・・」
って続くんだけど、その中に、「大室寅介」と言う名前があったぞい!
大室庄吉(近祐氏の祖父)が奇兵隊所属の力士隊に大室寅介(寅介)と言う名前で参加しており、明治維新後、奇兵隊の残党として下関宰相に投獄されていた事が判明。(『萩東照宮文書』)
さて、庄吉の娘ヨネの子が橋本龍伍で龍伍の息子が龍太郎だが、腹違いの弟、大二郎の母、若宮正の実の母も大室家出身という話を聞いたのだが、正の母は庄吉の娘大室ツネであろうか????
終わり
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